表具(=表装)とは、書画やお経の裏側に布や和紙を張って、掛け軸や巻物、屏風などに仕立てること。かつては江戸、京都、金沢が日本の三代表具と呼ばれ、それぞれに多くの職人を擁していた。
日本の住まいから床の間が消え、表具の機会はめっきりと減ったものの、笹谷さんは18歳の時より江戸表具の道に入って50余年、今なお現役で注文を受ける。後継者の指導にも取り組む一方、表具の技術を現代の暮らしに取り入れた雑貨も考案中だ。
――江戸表具と京表具の違いは何でしょう。
「表具自体の歴史は古くて、平安時代にはもう技術はあったようです。江戸表具と京表具では、作り方に差があるわけではありません。使う布の色や柄の違い、といったらいいでしょうか。京都は雅で模様が小さく、江戸は模様が大胆で大きいのが特長です」
――どのようにしてこの世界に?
「わたしは山形の生まれですが、戦争で父親と姉を亡くし、母も早くに亡くしていたので、中学の卒業と同時に東京の叔父を頼って上京しました。どうせ仕事をするのなら、一流の人のところに弟子入りをしたいと話したら、叔父が銀座の表具店に口を利いてくれて。子どもの頃から絵を描くのが好きでしたから、絵に関わる仕事ができるのが嬉しかったですねえ。朝から晩まで何十枚と絵が見られましたから」
――最初はどのようなことを?
「お預かりした書画の裏側に、布や和紙を貼るための『糊』づくりです。最初の3年くらいは、絵は触らせてもらえませんでしたね。その間は一歳年上の兄弟子が師匠から怒られているところを見て『あ、こういうことをしてはいけないんだな』と覚えました。ようやく触らせてもらえるようになると、もともと器用な面があったんでしょうね、それから5、6年したらある程度、師匠から任されて仕事をさせてもらえるようになりました」
――難しい点は?
「作品の裏側に糊をハケで塗って、和紙や布で補強する『裏打ち』という作業です。糊を素早く均等に塗らないといけないのですが、慣れない間はこれが難しい。均等に塗れなかったり、表まで滲んで出てしまったり。作品は一点ものですから、失敗ができません」
――当時、表具をオーダーされるのはどんなお客さんが多かったのでしょうか。
「わたしの店は、画商がお得意さんでした。一枚一枚、「こんな感じで仕上げたい」という希望を画商から聞いて、布や和紙の色や柄、デザインを決めていきます。昔は一枚の絵に合わせて、布を新しく織らせたこともあったんですよ。銀座の画商がお得意さんですから、お預かりする作品も一流です。横山大観さんなど、高名な画家の絵の表具をずいぶんやらせていただきました」
――笹谷さんは額装も手がけていらっしゃいますね。
「はい。日本が高度成長期の時代は、表具屋も非常に景気が良かったんです。みんなが一軒家をこぞって建て、床の間を作り、ふつうのお宅にも掛け軸の出番がありました。ところが、住環境が変わってマンションの時代になると床の間があっという間に消えてしまった。うちの師匠が機敏だったんですね。『これからは床の間じゃない。壁を飾る額の時代になる』といって、表具の技術をいかした和額の表具をメインに切り替えました。表具屋としてはこれが効を奏しました。絵描きさんも額に入れることを前提として、絵を描く時代になったんですね。といってももちろん、往時ほどのご注文はありませんが」
――よい表具と悪い表具は、どこが違うと思いますか?
「中国からの安い掛け軸がたくさん入って来ていますが、作品にぴたりと合った表具を施した掛け軸や和額は、作品の良さを後押しするものと思っています。美術館や博物館で掛け軸や書画を見るときに、そのあたりも注意して見ると、一層作品が楽しめますよ」
――今後はどのような活動を?
「江戸表具の技術を活かして、今の暮らしの中でも使っていただける雑貨を作りたいと思っています。すでに文庫や新書のブックカバーや、ポケットノートは製品化しています。ブックカバーは和模様の布の裏側を和紙で裏打ちし、本にぴったりと添うように工夫しました。ポケットノートは和紙漆で強化させた和紙を、表紙に使っています。伝統的な柄や表具という文化を、皆さんに暮らしの中でもっと親しんで欲しいのです」
写真:岡村靖子 構成:宮坂敦子
日本の住まいから床の間が消え、表具の機会はめっきりと減ったものの、笹谷さんは18歳の時より江戸表具の道に入って50余年、今なお現役で注文を受ける。後継者の指導にも取り組む一方、表具の技術を現代の暮らしに取り入れた雑貨も考案中だ。
――江戸表具と京表具の違いは何でしょう。
「表具自体の歴史は古くて、平安時代にはもう技術はあったようです。江戸表具と京表具では、作り方に差があるわけではありません。使う布の色や柄の違い、といったらいいでしょうか。京都は雅で模様が小さく、江戸は模様が大胆で大きいのが特長です」
――どのようにしてこの世界に?
「わたしは山形の生まれですが、戦争で父親と姉を亡くし、母も早くに亡くしていたので、中学の卒業と同時に東京の叔父を頼って上京しました。どうせ仕事をするのなら、一流の人のところに弟子入りをしたいと話したら、叔父が銀座の表具店に口を利いてくれて。子どもの頃から絵を描くのが好きでしたから、絵に関わる仕事ができるのが嬉しかったですねえ。朝から晩まで何十枚と絵が見られましたから」
――最初はどのようなことを?
「お預かりした書画の裏側に、布や和紙を貼るための『糊』づくりです。最初の3年くらいは、絵は触らせてもらえませんでしたね。その間は一歳年上の兄弟子が師匠から怒られているところを見て『あ、こういうことをしてはいけないんだな』と覚えました。ようやく触らせてもらえるようになると、もともと器用な面があったんでしょうね、それから5、6年したらある程度、師匠から任されて仕事をさせてもらえるようになりました」
――難しい点は?
「作品の裏側に糊をハケで塗って、和紙や布で補強する『裏打ち』という作業です。糊を素早く均等に塗らないといけないのですが、慣れない間はこれが難しい。均等に塗れなかったり、表まで滲んで出てしまったり。作品は一点ものですから、失敗ができません」
――当時、表具をオーダーされるのはどんなお客さんが多かったのでしょうか。
「わたしの店は、画商がお得意さんでした。一枚一枚、「こんな感じで仕上げたい」という希望を画商から聞いて、布や和紙の色や柄、デザインを決めていきます。昔は一枚の絵に合わせて、布を新しく織らせたこともあったんですよ。銀座の画商がお得意さんですから、お預かりする作品も一流です。横山大観さんなど、高名な画家の絵の表具をずいぶんやらせていただきました」
――笹谷さんは額装も手がけていらっしゃいますね。
「はい。日本が高度成長期の時代は、表具屋も非常に景気が良かったんです。みんなが一軒家をこぞって建て、床の間を作り、ふつうのお宅にも掛け軸の出番がありました。ところが、住環境が変わってマンションの時代になると床の間があっという間に消えてしまった。うちの師匠が機敏だったんですね。『これからは床の間じゃない。壁を飾る額の時代になる』といって、表具の技術をいかした和額の表具をメインに切り替えました。表具屋としてはこれが効を奏しました。絵描きさんも額に入れることを前提として、絵を描く時代になったんですね。といってももちろん、往時ほどのご注文はありませんが」
――よい表具と悪い表具は、どこが違うと思いますか?
「中国からの安い掛け軸がたくさん入って来ていますが、作品にぴたりと合った表具を施した掛け軸や和額は、作品の良さを後押しするものと思っています。美術館や博物館で掛け軸や書画を見るときに、そのあたりも注意して見ると、一層作品が楽しめますよ」
――今後はどのような活動を?
「江戸表具の技術を活かして、今の暮らしの中でも使っていただける雑貨を作りたいと思っています。すでに文庫や新書のブックカバーや、ポケットノートは製品化しています。ブックカバーは和模様の布の裏側を和紙で裏打ちし、本にぴったりと添うように工夫しました。ポケットノートは和紙漆で強化させた和紙を、表紙に使っています。伝統的な柄や表具という文化を、皆さんに暮らしの中でもっと親しんで欲しいのです」
写真:岡村靖子 構成:宮坂敦子
ささや・よしのり/ 昭和14年 生誕。表具師今成正治に師事、表具及び古書画の修復を学ぶ。 昭和50年 表具展出品。 昭和62年 現代表装、創作研究会に参加。 平成5年 江戸川伝統工芸展表具出品。 平成7年 江戸川伝統工芸展会員推挙。 平成13年 江戸川伝統工芸展教育委員会賞受賞。 平成16年 江戸川区瑞江中学、新潟県横越中学、中央区麹町中学にて伝統工芸を学ぼう、表具及び和紙の話、実技体験。 平成19年 アメリカロードアイランド造形大学にて日本の伝統工芸表具、和紙の話、実技等の講演。 ・カルチャースクール講師(表具) ・江戸川区伝統工芸会会員 |
掛け軸 早春の富士 . |