江戸硝子の歴史は江戸中期にさかのぼる。透明なガラスを使った風鈴などの小物雑貨が主流を占めていたが、しだいにカットを彫り込んだ切子の雑貨が誕生する。中金硝子の創業は昭和23年。色被せ硝子を得意とし、半世紀にわたって江戸硝子の伝統を守り続けている。なお、2色の硝子を重ね合わせて吹く「ポカン工法」は、創業者の中村金吾が考案したもので、今では多くのガラス工場で使われている技法である。それらを継承する弘子さんは、製品のデザインやサンドブラストの技術を活かしながら、現代にマッチしたガラス製品をプロデュースしている。
――色被せ硝子とは何でしょう?
「赤、瑠璃、紫など異なる色の層を重ねたガラスです。色被せ硝子はイタリアのガラス工房などでも作っていますが、初代の中村金吾はもっと能率的な作り方はできないかと考え、『ポカン工法』という技法を編み出しました。これはまず外側に薄く色ガラスを吹き、熱した特殊なお窯に入れながら内側に他の色のガラスを吹いて溶着します。お窯から外すときに『ポカン』という音がするのでこう名付けました。表面に切子やサンドブラスト彫刻(表面を摺りガラス状にしたガラスの加工法の一種)を施すことで色硝子のコントラストが生まれ、美しさを一層際立たせます。当社では、色被せ硝子を主力に据え、創意工夫を繰り返しながら、多品種の美術硝子を作り続けています」
――ガラスにはどうやって着色をするのでしょう?
「着色ではなく、ガラスの色はすべて金属の化学反応です。最初に瑠璃色が誕生し、次が赤、近年は水色やグリーンなどさまざまな色が出ています。瑠璃色はコバルト、赤色は銅や錫、鉄など10種類ほどの金属を合わせて色を出します。その調合は企業秘密です」
――手作業の工程が多いので驚きました。
「そうですか。押し型という、型に溶かしたガラスを流し込んで作る工法や、オートメーションももちろんありますが、うちは吹きガラスが専門で、職人さんが一つ一つ吹いて作ります。東京にも30年ほど前はたくさんガラスの会社がありましたが、今はずいぶん減ってしまいました。そんな中、当社で吹きガラスの技法を継承する職人さんが育っているのは大変ありがたいことだと思います」
――吹きガラスは難しい技術ですか?
「そう思います。ガラスはなかなか思うようにならない独特な素材です。口径が1センチでも違ってくると、技術も全然違ってきます。ポカン工法は色の層をなじませながら溶着しないと空気の泡などが入ってしまうため、器用な職人さんでも上手にできるまでには10年はかかります」
――中金硝子の販売先は?
「色硝子は切子の職人さんやサンドブラスト彫刻の工芸家さんからの需要が多いですね。一方、自社のオリジナル製品等は直販やインターネットをはじめ、記念品等として多方面で販売を行っています」
――商品開発はどのようにされているのでしょう。
「経済産業省の海外に向けた優れた地方産品(The Wonder 500)に選定された『ぐい呑み 逆さ富士』も、ぐい呑みの底にこんなふうに切子を入れたら富士山みたいに見えるじゃないと思い生まれた商品です。今では国内外から問合せをいただく大変人気の高い一品となりました」
――コラボレーションでの商品づくりにも取り組んでいますね。
「はい、美大生とのコラボレーションは楽しかったです。切子は伝統的に続き柄が多いのですが、月の満ち欠けや星座をイメージした柄など、斬新な発想に伝統の技術を折り込んで魅力的な作品を作り上げました」
――今後はどんな製品を?
「東京オリンピックに向けた製品を作りたいと思っています。実はすでに聖火のトーチをイメージしたランプシェードの試作にも取りかかっているんですよ。中にLEDライトを入れると綺麗なんです。江戸時代に縁起物とされた北斗七星を切子で入れてもいいかしら、など、アイデアが広がります」
構成:宮坂 敦子
中村 弘子(なかむら・ひろこ)/
硝子製品の製造に携わること30年。
切子のデザインをプロデュースしている。
伝統文化を守りつつ、人の手でしかつくれない色被硝子で形をつくり、切子で華やかな光を、サンドブラストで彫刻をと三位一体で織りなす作品づくりに励んでいる。分業体制で製作を行うため、製作及びコーディネーターとして携わっている。
平成27年 「ぐい呑み 逆さ富士」が経産省 The Wonder 500 に認定
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