手作りの日用品に理解の深かった工業デザイナーの故・秋岡芳夫さんは、失われつつある日本の伝統技術を、主婦や会社員が余暇として受け継いでもよいのではないかと考えていた。大事なのは才能ある人が技を習得し、次の世代へ残していくことだと。金工作家の後藤明良さんも、そんな道を選択した一人だ。平日はウェブデザイナーとして会社で働き、週末は展覧会のための作品作りに励んでいる。
――日本伝統工芸展に18年連続で入選されています。
「日本伝統工芸展への出品は、ライフワークのようなものです。ほかにも公募展はたくさんありますが、どちらかというと表現が重視される美術性の強い世界です。私にとっての工芸は"用の美"だと思っていますので、その部分にはこだわって作品を作っています。出品する作品は、比較的表現の自由な花生けを作ることが多いです」
――鋳金とはどのような技法ですか。
「鋳金は、ロウや石膏などで作った原型を型にとって、その型の中に高温で溶けた金属を流し込んで作る技法です。皆さんが身につけているアクセサリーや日用品にも、この技法で作られたものがたくさんあります。身近なところでは南部鉄器もそうですし、市販のジュエリーのほとんどにこの技術が使われています。冷えて固まった金属を削って形を整え、〝す〟と呼ばれる穴を埋め、仕上げることによって品物になるのです。金属工芸は今でこそメジャーではありませんが、かつては日本を代表する工芸として、シカゴ万博やパリ万博に出展していた花形だったんですよ」
――工業デザイナーから、金工作家へ転向された。
「美大の工芸デザイン科に入り、工業製品の試作品の製作やモデリング(原型製作)を学んでいました。
授業では、FRP(繊維強化プラスチック)を使って原型を作るのですが、デザインすることよりも、手を動かしてものを作ることのほうが楽しくなってしまいました。在学時に家具メーカーに内定をもらってアルバイトしていたのですが、家具を作るのではなく、インテリアコーディネーター的な仕事が中心だったため、正社員になる前に辞めてしまいました」
――金工作家に弟子入りされた理由は。
「鋳金をやるようになったのは、本当に偶然です。担当教授のところへ行き、実際に手を動かす仕事をしたいと相談したところ、『ちょうど、アシスタントを探してる金工作家がいるけど、行ってみるか』と紹介していただきました。その先生は、『蝋型鋳金吹込ガラス』という金属とガラスを組合わせた技法で作品を作っていました。蝋型の作品を初めて見て、衝撃を受け、弟子入りすることを決めました。そこで、足かけ5年ほど修行させてもらい、鋳金の技術を学びました」
――鋳金の魅力とは。
「作った原型そのままの形が、金属になるところでしょうか。蝋型は1個しかないものが作れる。そこが鋳金のおもしろいところです。大学ではプラスチックを使った原型製作に取り組んでいたので、なじむのは早かったです。難しかったのは、焼きゴテを使ったロウの成形で、なかなかうまくいかずコツをつかむまでに時間がかかりました。技を覚えていくうちに表現もふくらみ、自分が作りたい作品の方向性も見えてきました。でも、金工作家として生計を立てていくのはたやすくありません。定職を持ちながら創作活動を続けていこうと決心しました」
――一般向けの商品も作られています。
「2006年からは江戸川区の事業で、シルバーを使った装身具などを作りはじめました。友人に頼まれ、特注でエンゲージやマリッジリングなどを作ることもあります。そうした小物を作って、オリジナルブランドを立ち上げることもありかなと思っています。ですが、私の活動の主軸は、あくまで作家活動。鋳金という伝統的な技法を用いながら、自分にしかできない金属工芸の提案をしていきたいですし、先生が教えてくれた金工の魅力や技術を伝えて行きたいと考えています。アクセサリーや装身具、小物の製作が、後藤明良という存在を知ってもらえるきっかけになれば、うれしいですね」
写真:岡村靖子 構成:菅村大全
ごとう・あきら/
昭和41年 長野県生まれ。
昭和62年 美大卒業後金属工芸を始める。
平成元年 伝統工芸新作展・日本金工展入選。
以降出品入選。
平成5年 第40回日本伝統工芸展入選。
以降毎年出品、入選。
平成11年 江戸川区文化奨励賞受賞。
平成13年 江戸川伝統工芸展区長賞受賞。
平成14年 佐野ルネッサンス鋳金展入選。
平成15年 第20回(財)美術工芸振興佐藤基金 淡水翁賞受賞。
重要無形文化財「鋳金」伝承者養成研修会に参加。
平成16年 江戸川伝統工芸展区長賞受賞。
重要無形文化財「鋳金」伝承者養成研修会に参加。
平成22年 第57回日本伝統工芸展 日本工芸会新人賞
同展にて1993年の第40回から18年連続入選
(社)日本工芸会正会員
