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故・篠原裕インタビュー

蒸し暑い日本の夏を少しでも涼しく過ごそうと、古人は、さまざまな知恵を凝らしてきた。すだれしかり、打ち水しかり。澄んだ音色で涼を呼ぶ風鈴も、そのひとつだ。
大正3年創業の篠原風鈴本舗は、江戸時代にはじまるガラス風鈴の伝統をいまも守り続けている。真ちゅうや銅の風鈴とはひと味違う、軽やかな音色、しゃれっ気のある絵柄は、夏の風物詩としてメディアでもたびたび紹介されてきた。


――年間10万個も生産していらっしゃる。
「多いと思われるかもしれませんが、風鈴作りは、10万個作って、やっと食えるかどうかという商売です。最盛期には、25万個ほど作っていました。昔は、正月の三が日だけ休んで、あとは、朝の7時から夜の12時まで日曜も祝日もなく働いていました。私は、中学生になってから、家業を手伝うようになりました。学校から帰ってきて、毎日8時間、9時間、工房で働いていました」

――検事の仕事を目指したこともあったとか。
「家の手伝いはしていましたが、学校は出ておけというのが父の考えでした。それで大学を受験したら、法学部に受かってしまった。風鈴の仕事に比べると、弁護士や検事の仕事は、ネクタイを締めて格好よく見えるわけです(笑)。それで、司法試験を目指すようになったのですが、当時は学生運動の真っ盛りでした。授業が1年間中止となり、また家の仕事を手伝うようになりました。大学卒業後は、家の仕事を続けながら、司法試験合格を狙っていました。でも、汗水をたらしながら深夜まで働いたあと、試験勉強をするのは、どだい無理な話というものです。26歳のときに司法試験はきっぱりとあきらめました」

――江戸風鈴の歴史を教えてください。
「風鈴は、古代中国で生まれ、1000年くらいの歴史があります。もともとは、竹林に玉片をつるし、風の向き、音の鳴り方で物事の吉凶を占うものだったようです。それが仏教とともに日本に伝わり、魔よけとして使われるようになりました。ガラスの風鈴が出てきたのは、文献では、享保年間(1716~1735)とされています。庶民が風鈴を楽しむようになったのは幕末のころで、明治に入って一気に広まったようです。『江戸風鈴』という名前は、もともと江戸時代から伝わるガラス風鈴が、東京で受け継がれていることから、昭和40年ごろに父が命名しました」



――ガラス風鈴の魅力は。
「鉄の風鈴は耳に余韻が残りますが、ガラスの風鈴は音がとても軽やかで、夜中に鳴っても耳障りになりません。真夏は風が吹かない日も多いものですが、透明なガラスの風鈴なら、見るだけでも涼感が得られます。ガラスに描かれた絵柄も見ていて楽しいものです。例えば、この風鈴、『蕪』と『千両』いう文字が書かれています。なぜだかわかりますか。これは、花札の勝負に勝って、小判が入る(オチョイカブの見立て)ことをあらわしています。江戸っ子のしゃれがきいていますよね。昔は『百万両』と書いてありましたが、絵付けをしている妻が奥ゆかしい人間で、額を減らしました(笑)」

――露店で見かける安いガラス風鈴とは、何が違いますか。s
「江戸風鈴は、宙吹きといって、長い竿で吹きながら空中でガラスを膨らませます。これに対して、外国産の風鈴は、型を使ってガラスを成形します。そのせいか、外国産の風鈴は、形も音色も画一的な感じがします。風鈴の絵柄も同様で、うちでは1個1個、手描きしていますが、外国産は、プリントのものが大半です。しかし、悲しいかな、外国産の風鈴だけを並べて売られると、消費者にはなかなか判別がつかないのが実情です」


――営業はどのように。
「10年ほど前、外国産の安い風鈴が出回るようになったとき、露店で風鈴を売るのをやめました。価格勝負では勝てないのは、わかっていましたから。そのときに父が『これでうちも2、3年でだめか』といっていました。ところが、捨てる神あればひろう神ありで、うちの風鈴でないとだめだといってくださる得意先が何軒かあって、なんとか食いつなぐことができました。そのうちに同業者が減って、営業をしなくても、自然と注文が集まるようになりました。いまは問屋を通さず、百貨店を中心に、一部の小売店や通販会社と直接、取引しています」

――新しい取り組みもなされています。
「ガラスは、型を使わない宙吹き。絵柄はガラスの内側から描く、この2つだけ守るようにして、うちでは自由に風鈴を作っています。風鈴は夏のものかもしれませんが、別にサンタクロースを描いてもいいじゃないかと(笑)。今年は、サッカーボールに見立てた風鈴を作ったところ、テレビ番組でも紹介されて、大ヒットしました。でも、これからは奇をてらったものより、価格は少々高くても、本物であることにこだわった商品を作りたいと考えています。江戸切子の職人と一緒に作ったガラス風鈴も、そうした試みのひとつです」

――メディア露出の秘訣を教えてください。
「まず、どんなに忙しくても断らないことです。昔、問屋さんに『商品が足りないのに、テレビに出ている暇がなぜあるのか』といわれことがあります。そのとき私は、こういいました。『いまは足りないかもしれないけど、将来、余るようになったらどうするんだ』と。昨日もある番組の取材で、朝の10時から昼の3時まで5時間、撮影が入りました。撮影後に放映時間はどのくらいか聞くと、1分だという。たった1分かもしれないけど、ディレクターが満足して撮ったものと、そうでないものは、映像をつなぎ合わせたときの仕上がりが違うと私は思います。もの作りでも、それは同じことではないでしょうか」

写真:岡村靖子 構成:菅村大全

故・篠原 裕(しのはら・ゆたか)/

昭和24年 江戸川区生まれ。
昭和36年 中学1年生頃よりこの道に入る。
全国風鈴作品コンクールにて6年連続で受賞。
昭和56年 シアトル、シカゴにて江戸職人として初めて展示会を行う。 以後、ニューヨーク4回、オランダ、フランス等諸外国で展示会を開催。
平成6年 江戸川区第5回野村国際交流基金事業派遣団として、オーストラリアゴスフォート市を訪問(団長:篠原 裕)。
平成20年 江戸川区無形文化財保持者となる。

篠原 儀治(しのはら・よしはる)/

大正13年生まれ
昭和12年頃より父又平に師事
昭和57年 江戸川区登録無形文化財保持者認定
昭和59年 大東京祭功績賞を受賞
昭和60年 江戸川区文化功績賞を受賞
平成元年 東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞受賞
平成16年 名誉都民受称、江戸川区文化賞受賞
平成18年 文部科学大臣賞受賞
平成26年 江戸川区指定無形文化財保持者認定
平成27年 「江戸風鈴 椿」が経産省 The Wonder 500 に認定


篠原裕 代表作 しんすい金魚
10年程前から作られた新型です。名前は江戸川区の名所「親水公園」から取って名付けています。
花火
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花ブルー
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カブに小判
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