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細野勝インタビュー

細野勝さんは、都内に10人ほどしかいない看板彫刻師の一人である。彼が手がけた仕事を見たければ、浅草寺に行くのが手っ取り早い。有名な雷門をくぐり、しばらく歩くと、巨大な本堂に出くわす。その軒下に掲げられた「浅草寺」という扁額の文字。これを彫ったのが、細野さんだ。本業のかたわら、古い骨董看板の収集、研究にも余念がない職人は、75歳を迎え、いま看板彫刻の原点へ回帰しようとしている。

――看板彫刻師とは、どんな仕事ですか。
「木材に、文字や意匠を浮き彫りにし、漆や箔で仕上げるのが仕事です。もともとは分業制で、書家、木地師、彫師、塗師、箔押し師、仕上げ屋と、工程ごとに専門の職人がいました。私は彫りが専門だったのですが、ほかの職人がいなくなってしまい、いまは木地師以外の工程を一人でやっています」

――中学を卒業して、この道に入られた。
「父親は寿司職人でした。でも、私は、食べ物をいじることより、もの作りのほうが好きだった(笑)。それで、築地にいた看板彫刻師に弟子入りしました。昭和25年のことです」

――修行はどのように。
「最初にやらされたのは、道具作りです。彫刻に使う小刀は、使う人によって形が違うんです。自分が使いやすい小刀を持つのが先決というわけです。いま使っている小刀は、弟子入りしたときに作ったもの。かれこれ60年近く使っています」

――腕の見せ所はどこですか。
「文字を生かせるかどうかです。文字はたいていの場合、書家が起こしますが、書家の字をそのまま彫るわけではありません。例えば、屋外に掲げる看板は、文字を大きめに彫ります。それから、下から眺めたときのバランスがよくなるように、文字の上半分を大きめに彫ります。文字を直す技術が必要なのです。でも、一番難しいのは、きちっと小刀が研げるかどうかです。研ぎができないと、いくら腕がよくても、よい文字は彫れません」



――最近の木工機械は、進歩していますが。
「手書き文字の雰囲気や味わいを伝えるのは、機械では不可能です。文字の縁、私たちはたて込みと呼んでいますが、これを真っすぐにひいただけじゃ、殺風景な線(※)にしかなりません。いかにも人間が筆で書いたような表情をつけるため、文字の縁にかすりをつけたり、ギザギザをつけたりする処理を施します。これには、長年の経験と技術が必要です」(※字の線とは、筆が通ったところを指す。字の通ったうちの広い狭いとは無関係)

――古い看板をたくさん収集されています。
「私が集めている骨董看板で一番古いものは、〝温泉大明神〟と書いてある神社の扁額です。裏を見ると、宝暦8年(1758)と書いてあります。看板彫刻はもっと古くからあって、私が調べた文献資料では、大宝律令の中に、『都の市で店を出すものは、商品の標識を示せ』という意味の法令が出てきます。おそらく、当時の看板は、許可証のようなものだったのでしょう」

――看板が一般化したのはいつごろですか。
「鎌倉時代からだといわれていますが、一般化したのは江戸末期頃です。その頃の看板は、いまのように屋号を文字で書いたものではなく、商品の形を立体的にを彫ったものでした。飯屋の看板は、しゃもじの形をしていましたし、八百屋の看板は、大根を立体的に彫っていました。これなら、字が読めない人でも、何を売っているかが一目瞭然です」


――かつては屋号よりも商品のほうが重要だった。
「看板というのは、もともと商品広告でした。屋号は、暖簾に入れるものでした。だから、〝のれんを守る〟という言葉はあっても、〝看板を守る〟という言葉はない。看板は、商品広告だから、はやりすたりがあって当然なのです」

――現代人からすると、逆に新鮮ですね。
「同感です。これは、私がいま試作している洋服店の看板で、女性物のジーンズをかたどっています。先ほどお見せした八百屋の看板も、私が骨董看板の図録を見ながら復刻したものです。今後は、こうした立体的な看板彫刻の仕事も増やしていきたいと思っています」

――看板彫刻を注文する際は、何を伝えればよいですか。
「店がどういう場所にあるか、建物のどんな位置に看板を掛けるかをまず、教えてください。それによって、どんな木材を使うか、どういう色で塗るかを決めます。文字は、店主の自筆でも構いません。書に自信がなければ、書家に依頼することもできます。ただし、コンピューターの文字(フォント)を使うことはおすすめしません」

――なぜ手書きの文字じゃないと、いけないのでしょう。
「機能的にいえば、文字はただの情報伝達ツールです。しかしながら、人には好みがあって、私のように隷書(れいしょ)が好きな者もいれば、草書や行書が好きな人もいます。漢字は日本に移入されて千年以上の歴史があり、現在では日本文化の一部になっていると考えています。彫刻看板は店主の個性を表すと同時に、日本の漢字文化を伝えているのです」

写真:岡村靖子 構成:菅村大全

ほその・まさる/

昭和10年 東京都生まれ。
昭和26年 現職修業に徒弟奉行。この間乾漆技法伝承。
昭和41年 現在地で独立。
以来、千社額や扁額、看板、表札を彫り続けている。
昭和59年 日本橋高島屋で「ザ・カンバン」展を見て、これより自職の歴史の調査を始める。
平成5年 江戸川伝統工芸展区長賞受賞。
平成6年 米国コロラド州デンバー大学で「ジャパン・カルチャーフェスティバル」に江戸川区伝統工芸会会員として参加。
平成8年 これまでの研究をまとめ歴史手帳の発表。
表題「薬研彫りと百萬塔陀羅尼」。
平成13年 江東区美術展区長賞受賞。
平成15年 江戸川伝統工芸展技能賞受賞。
平成16年 江東区美術展奨励賞受賞。

工房まちす代表
代表作:浅草観音・本堂・扁額、川崎大師・本堂・扁額


細野勝 代表作 浅草寺扇額
細野さんが、まだ若い21~22歳の頃、親方から彫ってみなさいと言われ製作したものです。ただ、当時はまだ分業制だったので、細野さんは文字を書いた紙を貼りつけ懸命に彫りを行ったとのことです。この仕事に合わせ道具の砥付けを変えたり、原稿を布糊で貼るが漆で着色してあると布糊が効かないので、黒砂糖を加えて粘着力を増すなどの工夫を重ねました。彫りあげる作業は1週間程で行ったとのことです。基本技法は薬研彫りです。どんな仕事でも技と道具が基本で、それを十分使いこなせる環境とある程度の冒険が必要と細野さんは話されています。
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